NIMSは、東北大学および産業技術総合研究所と共同で、鉄系の軟磁性アモルファスリボンに新たなナノ組織・磁区構造の制御技術を導入し、電力損失を従来比で50%以上削減することに成功しました。特に、次世代高周波トランスや電気自動車の駆動用電源回路などで求められる数十キロヘルツの高周波領域で高性能を発揮し、電動機器の省エネ化やカーボンニュートラル実現への貢献が期待されます。本成果は、9月3日にNature Communications誌に掲載されました。
研究成果の概要
■ 従来の課題
AI向けデータセンターや電気自動車などの電力利用が急速に拡大する中、電力の高効率利用が重要な課題となっています。その要となるパワーエレクトロニクス技術では、電力を変換・供給するトランスやインダクタなどに使われる軟磁性材料の性能が効率化の鍵を握ります。軟磁性材料は、外部磁界に対してすばやく反応する磁化応答性に優れ、電力ロスを抑えられる金属材料ですが、パワーエレクトロニクス技術の高周波化に伴い、軟磁性材料で発生するエネルギーロスの増大が深刻な問題となっていました。
■ 成果のポイント
今回、NIMS、東北大学、および産業技術総合研究所(産総研)の研究チームは、鉄を主成分とした軟磁性アモルファスリボン内部の「ナノ組織」および「磁区構造」を精密に制御する手法を新たに開発しました。これにより、特にトランスや電気自動車のパワー回路など、応用が期待されている数十キロヘルツまでの高周波域で、軟磁性材料の電力損失を従来比で50%以上削減することに世界で初めて成功しました(図1)。
図1: 従来のアモルファスリボンのナノ組織と磁区構造(左)と、本開発材料のナノ組織制御および磁区構造制御(右)の模式図。中央のグラフは、これらの制御によって軟磁性材料の電力損失を50%以上低減できたことを示している。
■将来展望
今後、この新たに開発した材料を用いて、トランスなどのプロトタイプ素子の作製や、実際の電力変換回路への実装を目指します。
■その他
本研究は、NIMS磁性・スピントロニクス材料研究センターのRavi Gautamポスドク研究員、間宮広明主席研究員、大久保忠勝副センター長、世伯理那仁グループリーダー、NIMS ICYSのNikita Kuleshリサーチフェロー、東北大学多元物質科学研究所の平本尚三研究員、岡本聡教授、小野暢久博士課程学生、および産総研エレクトロニクス基盤技術研究部門の小笠原剛主任研究員からなるチームによって、文部科学省の「革新的パワーエレクトロニクス創出基盤技術研究開発事業(JPJ009777)」の一環として実施されました。
本研究成果は、2025年9月3日にNature Communicationsのオンライン版に掲載されました。
研究の背景
AI向けデータセンターや電気自動車などの電力利用が急拡大する中、電力の高効率利用が重要な課題となっています。その鍵を握るのがパワーエレクトロニクス技術であり、外部磁界に対する磁化応答性に優れた軟磁性材料は、トランスやインダクタなどとしてパワーエレクトロニクス技術に不可欠な構成要素です。パワーエレクトロニクス技術は、SiCやGaNなどの次世代パワー半導体材料の導入により高周波数化が進展していますが、それに伴い、軟磁性材料におけるエネルギーロスの著しい増大が問題となっており、エネルギー効率向上の観点から“低損失”化が強く求められてきました。軟磁性材料にはさまざまな種類がありますが、鉄系軟磁性アモルファス材料[1]・ナノ結晶材料は、鉄の含有量が多いことで高磁化が期待できることに加え、アモルファス構造やナノ結晶構造によって磁化応答が容易になり、低保磁力化が可能となることから、低損失化に向けた研究開発競争が世界中で加速しています。
研究内容と成果
研究チームは、図2に示すように、液体急冷法で作製した鉄系アモルファスリボンを部分的に結晶化させた試料に対し、透過型電子顕微鏡、アトムプローブを用いて詳細に微細組織を解析して、ナノサイズの鉄結晶の分散を確認しました。さらに、図3に示すように、磁気光学Kerr効果顕微鏡[2]を用いて磁区[3]の観察を行った結果、微細な縞状の磁区構造が発現していることを確認しました。この観察結果を踏まえて、マイクロマグネティクスシミュレーション[4]を実施したところ、この縞状磁区構造の出現は、弱い垂直磁気異方性[5]の発現が原因であることが明らかとなり、その結果として、数十キロヘルツという高周波領域における軟磁性材料での電力損失の80%以上を占める「過剰損失[6]」を大幅に抑制できることが分かりました。
図2:液体急冷試料(左)と、それを部分的に結晶化させた低損失試料(右)の透過型電子顕微鏡像と電子回折パターン、アトムプローブによる原子マップおよび組成プロファイル。低損失試料ではナノサイズの鉄結晶(暗いコントラスト)と高密度の銅クラスターが観察されており、特異なナノ構造の形成が確認されている。
図3:液体急冷試料(左)と低損失試料(右)の磁気光学Kerr効果顕微鏡像とマイクロマグネティクスシミュレーション結果。低損失試料では、縞状の磁区構造が観察されており、弱い垂直磁気異方性を考慮したシミュレーションによりその形成メカニズムが良好に再現されている。
新たに開発されたリボンは、重量比94%以上の鉄とその他の低コスト元素(ホウ素、リン、炭素、銅、ケイ素)で構成されており、一般的な急速冷却プロセスによって作製されたものです。幅60mm、厚さ25μmのリボンが製造可能であり、産業利用に十分なスケーラビリティを有することを確認しています。特筆すべきは、本開発が希少あるいは高価な構成元素に依存せず、極めて高効率な電力変換につながる点です。
従来の軟磁性材料では磁歪[7]を低減することが常識とされており、低磁歪を実現するために選択できる組成範囲は限られていました。一方、本開発材料では、適度な磁歪(約30ppm)が弱い垂直磁気異方性の発現要因となっており、磁歪の高い材料であっても、ナノ組織制御と磁区構造制御を組み合わせることで、優れた軟磁性材料となり得ること示しました。これにより、軟磁性材料の新たな探索空間が切り拓かれました。
今後の展開
パワーエレクトロニクスの高性能化において、低損失の軟磁性材料の開発は極めて重要であり、持続可能なエネルギー社会の実現やカーボンニュートラルの達成にも大きく貢献すると期待されています。本研究では、ナノスケールでの組織制御と、高周波領域における磁区構造の最適化を融合させた革新的なアプローチにより、希少元素を用いずに鉄(Fe)を主成分とするアモルファスリボンの磁気特性を大幅に向上させることに成功しました。その結果、高周波応用において従来は両立が難しいとされてきた「高磁化」と「超低損失化」の同時達成に向けて、大きな前進が得られました。本成果は、高性能軟磁性材料の設計に新たな展望をもたらすとともに、次世代パワーエレクトロニクスに適した低損失材料の選択肢を広げ、よりクリーンで高効率なエネルギー変換技術への世界的な移行を加速させるものです。
■用語解説
- 軟磁性アモルファス材料:結晶構造を持たず、原子が不規則に配列しているため、磁化の方向を容易に変えることができる特性を有します。この特性により、トランスやモーターのコア材、チョークコイル、インダクタなどへの応用が期待されています。
- 磁気光学Kerr効果顕微鏡:磁性材料に光を照射すると、反射光の偏光状態が表面の磁区構造に応じて変化します。磁気光学 Kerr 効果顕微鏡はこの現象を利用し、磁区分布を可視化・観察する装置です。
- 磁区:磁性材料の内部には、同じ方向に磁化された領域が存在し、これを磁区と呼びます。外部から磁場が加わると、磁区の境界である磁壁が移動し、特定の磁区が拡大したり、他の磁区が縮小・消滅したりします。
- マイクロマグネティクスシミュレーション:磁性体内部に格子点を分布させ、それぞれの格子点に磁化ベクトルや交換相互作用、異方性定数などの磁気物性値を割り当てたうえで、例えば外部磁場を変化させたときに、各格子点での磁化ベクトルの変化を数値的に計算する手法です。このシミュレーションにより、微細組織や異方性の変化が磁気特性に与える影響を解析することが可能です。
- 垂直磁気異方性:磁性材料には、それぞれの結晶構造や形状、応力状態などに応じて、磁化が向きやすい特定の方向(異方性軸)があります。膜や薄板の場合、磁化が厚み方向(膜面に垂直な方向)に向きやすい性質を「垂直磁気異方性」と呼びます。
- 過剰損失:磁性材料に交流磁場が印加されると、材料内部で磁区の変化が生じ、エネルギーが熱として失われます。このような損失を過剰損失と呼びます。
- 磁歪:磁性材料に磁場を加えると、内部の磁気モーメントの向きが変化し、それに伴って材料がわずかに伸縮する現象が生じます。これを磁歪と呼びます。
論文情報
“Ultra-Low Core Loss in Fe-enriched Soft Magnetic Ribbons Enabled by Nanostructure and High-Frequency Domain Engineering”
Ravi Gautam, Shozo Hiramoto, Nikita Kulesh, Hiroaki Mamiya, Satoshi Okamoto, Nobuhisa Ono, Takeshi Ogasawara, Tadakatsu Ohkubo, Hossein Sepehri-Amin
Nature Communications
DOI:10.1038/s41467-025-63139-1
掲載日:2025年9月3日
■ 物質・材料研究機構(NIMS)
■ 産業技術総合研究所(AIST)
■ 東北大学
■ ナノスケール磁気機能研究分野(岡本研究室)
問い合わせ先
(研究内容について)
NIMS 磁性・スピントロニクス材料研究センター グリーン磁性材料グループ グループリーダー
世伯理 那仁(せぺり なびど)
Hossein Sepehri-Amin
E-mail: H.SEPEHRIAMINnims.go.jp(を@に置き換えてください)
TEL: 029-859-2739
URL: https://samurai.nims.go.jp/profiles/h_sepehriamin/
NIMS 磁性・スピントロニクス材料研究センター 副センター長
大久保 忠勝
E-mail: OHKUBO.Tadakatsunims.go.jp(を@に置き換えてください)
TEL: 029-859-2716
URL: https://samurai.nims.go.jp/profiles/ohkubo_tadakatsu/
東北大学 多元物質科学研究所 教授
岡本 聡
E-mail: satoshi.okamoto.c1tohoku.ac.jp(を@に置き換えてください)
TEL: 022-217-5357
URL: https://www2.tagen.tohoku.ac.jp/lab/okamoto/
産業技術総合研究所 エレクトロニクス基盤技術研究部門 強相関デバイス技術研究グループ 主任研究員
小笠原 剛
E-mail: t-ogasawaraaist.go.jp(を@に置き換えてください)
TEL: 050-3521-3045
(報道・広報について)
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産業技術総合研究所 ブランディング・広報部 報道室
〒305-8560茨城県つくば市梅園1-1-1
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